単なる売った買ったでは整理できない、医療法人ならではの複雑なM&A

お客様が後悔しない意思決定ができるよう最後まで全力でサポート

—どのような経緯で、日本経営へのご相談に至ったのでしょうか。

渡邉剛二様(以下 渡邉) 「医療法人 譲渡」「医療法人 解散」のようなキーワード検索でたどりついたのが日本経営のサイトでした。
実は、日本経営に相談する前にM&Aを専門に取り扱う仲介企業何件かに問い合わせをしていました。しかしながら、老健が一般企業と同じ感覚で承継できるかというと、そう上手くはいかないのです。制度があまりにも複雑でした。私はビジネスとしてM&Aをするつもりではなく、父と母が開設した老健を、職員さんや入所者さんに負担をかけずに引き継いでくれる法人はないか。そのような思いでした。その意思を汲み取ってくれる会社でないと依頼できないな…と。いくつかの企業に問い合わせしましたが、医療法人についての専門的な知識があって、尚且つ会計やM&Aの件も相談できる日本経営しかない、むしろここでダメならもうどうしようもないと思っていました。譲渡先が決定するまで時間がかかりましたが、最後はうまくいって心からほっとしています。

—M&Aを検討するようになったのはいつ頃からだったのでしょうか。

(渡邉) 私はもともと一般企業で働いていて、老人保健施設静耕に来たのは、3年前のことです。静耕は開設して20年程になります。50床の老健単体施設です。
2000年に介護保険制度が始まり、それから改正を繰り返していく中で、老健に求められる内容も変化してきました。本来であれば改正に合わせて静耕の事業内容も変えていかなければなりませんでしたが、50床という小規模の施設ですから、設備投資や人件費等にかけられる費用も限られています。在宅復帰を目指すなど、老健に求められる役割に応えることが困難になっていました。
そんな最中に母が病気になってしまいます。手術は無事にすみましたが、かつてと同じように経営に携わるのは難しい状況でした。この状況で経営を続けるのは無理では…経営が困難になったとしても、家族だけで解決できればいいのですが、このままでは周りを巻き込む話になりかねないと判断し、それまで勤めていた会社を辞めて実家に戻ることを決意しました。それが3年前の1月頃です。
経営状況は危ういとは思っていましたが、それがどの程度なのかわかりませんでした。半年間かけて決算書や会計入門などを読んで自分なりに勉強した結果、どうやら明日、明後日すぐに潰れるわけではなさそうだが、次の改正があったらどうなるかわからない、27年改正までは何とかなるにせよ、ヘタしたら倒産してしまう。静耕を閉鎖するか譲渡するか、1年ないしは2年の間でどちらかを選択せざるを得ないと判断したのです。

—半年間という短い期間で、大変なご決断をしたのですね。

(渡邉) 決断というか、もう個人の力ではどうしようもない話なので。これが、いくつかの事業を運営している法人だったら、統廃合するなどやりようはあったかもしれません。医療法人渡辺医院としてはこれ以上借金を増やすわけにはいきませんでした。

—役員はご親族で構成されています。ご親族とはどのような話し合いをされていましたか?

(渡邉) 父は医師として老健で働いていましたが、経営のことはほとんど母に任せていました。医療法人渡辺医院の詳しい経営事情は把握していなかったと思います。20年前とは介護保険制度の目指す方向が違うので、このままでは赤字になってしまうと私から説明しても、理解してもらえる様子ではありませんでした。
ですので、日本経営に相談した際も、「第三者の経営の専門家に、法人の現状と今後を客観的に分析していただきレポートやアドバイスをいただければ、理事長や他の法人役員(親族など)の理解を得られるのではないかと考えております」と問い合わせをしたのです。
まずは父以外の役員を連れて横井さん(現日本経営取締役)の元を訪れました。
「ちゃんとしたコンサル会社が医療法人渡辺医院の状況と今後を数字で示してくれた。もう閉鎖か譲渡のどちらかしかないんだ」と役員に打ち明けました。結局のところ、役員が実態を理解しようがしまいが、状況が変わることはないんです。ただ、現場を知っているからと言って私だけで勝手にすすめられる話ではありませんから、ある意味セレモニーのような形で、横井さんに医療法人渡辺医院の状況を説明していただきました。

—それから、社会医療法人社団正峰会さんに譲渡されるまで2年くらいかかっています。候補先はいくつかありましたが、なかなか契約には至りませんでした。その時のご心境はいかがでしたか。

(渡邉) 正直、こんなにかかるとは思いませんでした。長くても一年くらいを想定していたので、そんなに甘くはないのだと痛感しましたね。
これから先の改定を見据えた時、老健を引き受けてどうなるのか、地の利などトータルでメリットを見出してもらえないと契約には至らない。簡単にはいかない。閉鎖を覚悟しました。
30年改正が迫っていたので、これ以降もずるずると経営していたら本当に倒産してしまう。悩みましたが、譲渡の話は打ち切りにして、閉鎖しようと決意したのです。翌年の3月末には閉鎖したいと、私の方から塚本さん(現日本経営次長担当窓口)に連絡しました。
(塚本) 剛二さんの意思は老健を閉鎖する前提でしたが、日本経営としては最後までサポートしようと手を尽くしました。金融機関さんに声をかけたのもこの時です。最終的に正峰会さんが事業を引き受けてくれました。

(渡邉) 正峰会さんに興味を持っていただいて有難かったのですが、また3ヶ月4ヶ月先になって「やっぱりやめます」となる可能性も覚悟していました。ですから「老健としては来年3月末には閉鎖する方向で動いています。年を越したら入居者さんも減らしていきますから、引き受けてくださるのであれば、年内までに結論を出して欲しい」とお願いしていました。

(塚本) フェードアウトしていく流れの中で、早めに意思決定してほしいと交渉を進めました。交渉段階に入ると、正峰会さんの意思決定は速やかでした。

—交渉がまとまって、最終的に社員総会が開催されたのですね。

(渡邉) 実は社員総会を開催する2日くらい前に父と二人きりで話す時間をつくりました。一時間くらい父が一方的にしゃべって、気持ちが落ち着いた頃に私から譲渡の話がまとまったと報告したのです。
「法人としての渡辺医院は潰れずにすむし、老健を譲渡するという形で先方は引き受けてくれる。負債も全部返せる」
その時はスッとした様子で耳を傾けてくれました。
「それでもう全部返せるのか」
「返せる」
「大丈夫なのか」
「大丈夫だ」
「ああそれはいい話だ」
年齢を重ねるにつれ頑なになっていった父でしたが、最後は私の決断に寄り添ってくれました。気持ちが伝わって良かったです。

(塚本) 理事長が反対されてご破算になる…ということにはならないよう、当社としても全力でサポートするつもりでしたが、剛二さんのお陰で滞りなく譲渡が完遂しました。事業承継やM&Aについて、早いうちからご家族で話し合われる方は、そう多くはいらっしゃいません。間際になって揉めるのは、珍しい話ではないのです。

—時系列からわかるように、剛二さんが、段階を経て積極的に行動されていたから上手くまとまることができたのですね。社員総会当日はどういった雰囲気だったのでしょうか。

(渡邉) 報告も署名も済んでいたので、あくまでもセレモニーのような形式的な社員総会でした。理事会も兼ねています。「もうちょっとがんばりたい」と、母がいきなり言い出したのを、父が「これはいい話なんだ。大きな法人が引き受けてくれるんだよ」と説得してくれました。兄からも、「本当にお二人ともお疲れ様でした。開設から今まで頑張っていただきました。これからは自分たちの時間を大切にしてください」と、労いの言葉があって、二人とも穏やかな気持ちになってくれたようです。

—締結するまでの間で、心配されたことはありましたか?

(渡邉) 職員さん達をちゃんと継続して雇ってもらえるのか、入所者さんも診てもらえるのか、それは必須条件でした。

(塚本) 正峰会さんには職員全員の事情を説明して、引き継いでもらいました。正峰会さんの事務局長様も引継ぎの場にいらっしゃって、職員さんにご自身で説明されていました。M&Aの経験がある法人ですから、スムーズに進みましたね。

—行政との対応は滞りなく済んだのでしょうか。

(渡邉) 全くわかないことばかりですから不安でした。市の手続きは問題なかったのですが、県からは、医療法人解散前の事業譲渡は認められないと言われたのです。医療法人解散の申請をして、承認を受けて、財務整理として譲渡しないとダメだと言われてしまい途方にくれました。でも塚本さんは「いやいや大丈夫。改めて出直しましょう」と。

(塚本) 行政としての理屈は筋が通っていますが、結局、誰のためにこの譲渡を完遂させるのかという話です。それは、入居者さんや通所として利用する方々のためにしていることなんですよ。この話が整わなければ、その方々が困ってしまう。そこを丁寧に説明し、順序立てて手続きを踏んでいけば間違いはない。正しいことをしていれば、必ず理解してくれます。

(渡邉) 一人の力では到底なし得ない手続きでした。塚本さんがいなかったら、間違いなくあきらめていました。

—関わる方が多い分、物事が簡単に進むわけではなく、大変なご苦労を経て、このようによい結果にたどり着けたのですね。

(渡邉) 最も苦労したのは、譲渡先が決まるまでの葛藤です。長くても一年くらいで譲渡先が決まると思っていました。しかしながら、そう上手くはいかなくて。譲渡先が決まらないのであれば経営を続けていかなければならない。経営を続けるためには、業務を改善したり、設備投資を検討する必要があります。しかしその一方で、譲渡先はないか、それとも閉鎖かと考えを巡らせるのです。目的と行動が矛盾していて、そのことがとてもつらかったです。

(塚本) 現状を一番把握していたのが、剛二さんでした。大変、お辛かったと思います。何も行動しなければ恐らく閉鎖になっていたかもしれません。しかし、重大な決断を何度も迫られてもくじけずに、一生懸命行動されてきたから、ここまでたどり着くことができました。私たちも、剛二さんに勇気づけられてきたのだと思います。関わった皆さんが納得できて、また、入居者さんや地域の利用者の皆さん、職員の皆さん、地域にとってもいい選択肢となって、本当によかったと思っています。

(右)医療法人渡辺医院 老人保健施設 静耕 副施設長 渡邉 剛二 様
(左)株式会社日本経営 塚本 康史


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